以前、プロのミュージシャンのように上手くなるにはどうすればいいのか?ということについて書きましたが。 それはあくまで技術的な部分の話であって、芸術などの創作・創造の世界では、それだけでは駄目なわけですよね。 いや、楽器の演奏家の場合は、創作性はあまり要求されない「演奏の専門家」というジャンルがあるような気がしますが。 つまり、自分では作曲などせず、他の人が作った曲を上手に演奏する事に特化した人たちですね。 クラシックの演奏家はほとんどがそうなのではないでしょうか? あまり詳しくは知りませんが、クラシックの楽器奏者が自分でオリジナルの曲を作っているとか、あまり聞きません。 中には居るのでしょうが、作曲には楽器の演奏とは別に、そのための別の勉強が必要になりそうです。また、新しいものを創り出そうとすると、クラシックの枠を超えて現代音楽の要素が入ってきてしまう人が多いと思いますので、純粋なクラシックの専門家とはまた別のジャンルになってしまう人が多いのかも知れませんね。 ☆そういう方向で、思い浮かぶのは葉加瀬太郎さんとか? クラシックの音楽でも、作曲を学ぶ人はそれ専門の学科があるのですよね?(いや詳しくは知りませんが) 交響曲を作曲するような人は、使われる全ての楽器の演奏に長けている、必要はないわけですしね もちろん、一つ二つ楽器の演奏ができる必要はあると思いますが・・・ 現代は、パソコンを使って、まったく楽器の演奏のできない作曲家というのも存在するわけですしね。
とにかく、何か新しい曲を作り出そうとなると、楽器の演奏技術だけではない、創造性というものが要求されます。 これは音楽に限った話ではなく、あらゆる絵画や文学、映画やマンガなどのエンターテイメントでも同じですね。 それは、技術だけではやっていけない世界であって、技術の習得とはまた違った大変さがあると思います。
そういえば、手塚治虫の「漫画家になりたい」という若い人へのアドバイスというのがありましたね。 それは、 「まず五年間、持ち込みなどせず、どこにも発表せず、ただひたすらマンガを書き続けなさい。そして五年経ってもなお、描きたいと思う事があったら、漫画家になるべきだ」 というものだったそうです。。。 なるほど。。。 創作の世界というのは、単なる技術的な問題だけではなく、さらにその上に、「何を表現したいか?」と言う問題が乗ってきますからね。。。
なぜ人は本を書くのか?と言う話もきいたことがります。 「何か世に訴えたい主張があるから、人は本を書く。何も訴えたい事がない人は、本など書かない。」 なるほど、そりゃそうですね。 他の人と違う事を主張したい人が、その主張を訴えるわけですね。 エンターテイメントにおいては、必ずしも何か主張したい主義思想があるわけでもないわけですが、やはり、オリジナリティは大切となりますね。 オリジナリティではなく、既存の快楽を生み出す媒体を際限なくリメイクし続けられるという才能もあるかも知れませんが、それには今度は、そのジャンルの過去の創造物を知り尽くしている必要がありますね。。。
現代だと、SNSやブログなどでも同じような事が言えるかも知れませんね。 何年も続けていると、そのうち、書くことがなくなってくるのかも。 何年かすると飽きて離れていく人、停滞してしまう人がいるのはそのためかも知れません。 書き続けること(創造し続けること)とは、書くこと、書きたいことが枯渇しないかどうか、と言う挑戦でもあるなと思うわけです。 (手塚治虫が言いたかったのは多分そこですね。) ただ、一つ言えるのは、常に自分が進歩、変化し続けている人は、常に新鮮な感動とネタがあって、枯渇するということがあまりない気がします。 何歳になっても、常に新しいことを学ぶこと、挑戦することは続けていきたいですね。。。(^^)
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