まず前置き(笑) 最初に断っておきますが、私は男性ですがフェミニストです(笑) 習慣など洗練はされていないですが ただ、女性の権利が侵害されているのを見ると、怒りが湧いてくる(笑) ただ、世間で言うところのいわゆる「女権論者」の活動家の方々の意見には賛同しかねる事が多い。 一般的に「フェミ」と言われる、「活動家」の方は、実は女性らしさを潰して男性になりたい人ばかりで、本当のフェミニストではないでしょう(笑) 不思議なんですよね、女権活動家って 「女性がどんな格好をしても良いじゃないか?」 「女性がどんな生き方をしても良いじゃないか?」 「女が女らしく生きても男らしく生きても良いじゃないか?」 という主張なのかな?----そうなら賛同できますが、フェミニストですから(笑)----と思いきや、そうではなくて 「女らしくするな、女も男と対等なのだから男らしくしろ」 なんですよねぇ・・・ 不思議な事に、女権活動家は女らしい事を好む女性を叩く。女性らしさを叩く。女っぽい生き方を叩く。 そう言えば、左翼系思想の活動家の女性って、みんなショートカットで男みたいな格好していますよね。。。 保守系の人は政治家でも割と女性らしい格好や髪型をしていたりしますが。。。 不思議ですね。 いわゆる "女権活動家" は、女性の権利を守りたいのではなく、男性になりたいように見える人が多いような気がします。 私からすると、女性が、「男らしく」生きたい女性も、「女らしく」生きたい女性も、どちらも認められる、どちらも選べるのが、真の意味での女性にとっての自由なのではないかと思うのですが。。。
ここから本題、でも序章(笑) 先日、一部界隈で話題になっていたのは、献血のポスター。 "宇崎ちゃん"というマンガ?のキャラクターとコラボした献血を呼びかけるポスターがあったそうなのですが、それに、いわゆフェミニスト活動家が「セクハラだ」と噛み付いたそうなのですね。 私はこの騒動まで "宇崎ちゃん" なる作品/キャラクターを知らなかったのですが、巨乳キャラのようですね。 ただ、服を脱ぐようなシーンがあるマンガでもなく、またポスターも服は着たままで肌の露出の描写があるわけでもなくセリフも問題なし。これが何が問題なのか? なんでも、いわゆる「フェミ」と言われる「活動家」の方々の主張では、胸が異常に強調された絵柄が、『環境型セクハラ』なんだとか・・・ しかし、このくらい胸のある女性は居ないわけではないし、そういう女性の人権を蹂躙する発言ではないかと思うわけですが。 大昔に、日本のマンガやアニメは「胸が小さい女性ばかり描いているのは、日本人男性がロリコンだからだ」みたいな主張があったような気がするのですが、大きければ大きいでセクハラと言われると・・・ まぁ、大部分の人は問題ないと判断すると思います、問題ないという意見はこちらを読んでいただけば分かると思いますが。
日赤の献血ポスター「宇崎ちゃん」が何の問題もないワケ | アーバン ライフ メトロ - URBAN LIFE METRO - ULM
先日ネット上で大きな話題となった日赤と『宇崎ちゃんは遊びたい!』のコラボキャンペーンについて、ライターの秋山悠紀さんが持論を展開します。…
urbanlife.tokyo
上の記事を読んで頂ければ分かると思いますが、"性的"と感じるかどうかは、人それぞれなわけです。 女子中学生のウナジが男子学生の欲情をそそるからポニーテール禁止 なんて校則があるって話と同じですね。 私はウナジで欲情する感覚は理解不能ですが、そう感じる人も居るっていうことですね。 ウナジではなく、女性の髪の毛が卑猥だから人前では隠しなさい、という宗教もある(イスラム教のヒジャブ) これが極端に進行していくと、突き詰めると、女性の存在そのものが卑猥でケシカラン、という話に行き着くんじゃないかなと思うのです。 あまり、卑猥だエッチだケシカランって言われると、「女性って卑猥なモノなんですか?」と聞きたくなってしまいますが(笑) そんな卑猥なモノなら、女性は外を出歩くべきではないってことなの??? いや、笑い話ではなく、現実にありますよね それを極めてしまった思想・風習が、イスラム教の「ニカブ」なんじゃないかと(※全身を布で覆って目さえも見せてはならないという風習) ⇒ イランの女性の今昔
というのがここまでの前提、ここから本題(笑) とあるフェミの方---#KuToo活動を行ったので有名になった石川優実という方ですね----と、"表現の自由を守る立場"の方が公開で話し合いを持ったそうなのですね。 そして、その討論会自体は有意義であったという結論で終わったはず、だったのが そのフェミの方が、討論会後にブログを更新、なんと 「時間の無駄だった」と書いたと言う感じ・・・?https://togetter.com/li/1432191
永遠に子供のままでいたい子供
“子供”に議論は向かない。そのことはずっと分かるまい。期待通りの絶望であった。…
togetter.com
本当に無駄だと書いたのか、実際にその討論会の後に書かれたブログ記事というのを読んでみましたが・・・ ちょっと、何を言ってるのか分からない、文章が、理屈の組み立てが、理解不能という印象(笑) 『青いものは赤いと言ってるだけなのに、あの人は答えてくれなかった』みたいな、まるでランダムに言葉を並べて文章っぽいものを作るAIみたいな?(^^;) 最後までがんばって目を通しましたが、頭がおかしくなりそうでした(笑) これなら「ボスの言葉は絶対、白い物でもボスが黒と言えば黒だ」みたいな話のほうがまだ理解できる。
で、私の言いたい事は何か?(笑) 実は女性蔑視とか表現の自由について語りたかったわけではないのです(笑) 上記まとめの中に載っていましたが
僕は元々石川さんの事が嫌いだったし見たくもなかったので #これフェミ もTLで追えればいいやと思ってましたが、正解でしたね。
— ぐお (@guo_same) November 18, 2019
敵を説得する必要は無い。
理不尽な難癖にきちんと反論する必要はあると思いますが、理解し合えると思ってはいけない。
僕らの反論を見た第三者の理解を得られれば良い。 https://t.co/CIsIFEwtud
結論としては、討論とか対話って、意味がない。 人間が、お互いに理解しあえる、理解してもらえる、相手を変えられる、そういうのは無駄な努力なんだな、ということです。 「話にならない」で諦めてしまってはダメだと書いている人が居ましたが、それはその通りなのですが、 努力を諦めるのではなく、訴える"向き"を変える必要があるのだろうと。 "相手"に向かってはダメなんですよね。 第三者に向かうべきなのでしょう。
だいたい、フェミとか差別とかを訴える左翼的主張の、所謂"活動家"の方々というのは、「異様に声が大きくしつこいエキセントリックな少数の人々」なのだから。
相手の戦術は、ラウドにしつこくシツコクし続けて、相手がウンザリして諦めてくれるのを狙うというもの。
メディアにしつこく苦情の電話をかけ続けるとかで、メディアの表現を規制させる事に成功してきた。
これからの時代は、それにに負けて沈黙してしまってはダメなんだろうと思います。
あまりにおかしな人相手には、これはおかしいと思うのが当たり前過ぎて、マジョリティの人はあえて声高に発言しない、という事がよくある。
しかしそれでは、今後の騙し合いの時代には通用しなくなっていくのでしょう。
諦めて沈黙してしまえば、「少数のおかしな主張」だけが世に出て、まともな考えが残らなくなってしまう。
長い目で見ると、それに洗脳されてしまう人間が少しずつ増えていく。
そうやって時間をかけて、日本はダメになってきたように思います。
つまり、対話で相手を説得するのではなく、他の人々に向かって訴えていく必要があるのかな、と。
「声の大きい人が勝つ」ではおかしいという時代を目指さないといけないのだと思います。
討論で相手と対話し、理解しあおう、相手を変えよう、などと思ったら、それは最初から負け戦 左翼思想の"活動家"の方々は、そういう姿勢について割り切っていて大変上手ですね。 相手は最初からこちらを説得しようとも理解しあおうとも思っていなかった。 この機会を利用して、自分達の主張に共鳴してくれる人をどう増やしていくか。 宗教の布教活動と同じなのだろうと思います。
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