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本郷奏多「食事は異物を体内に入れる行為」

医療・ヘルス・ダイエット
本郷奏多という俳優の「食事は異物を体内に入れる行為」という発言が話題になっているそうで。

「ハンバーグなんて、肉をグチャグチャに、しかも人の手でかき混ぜて作るわけで、気持ち悪い」と。

「信じられない」 「理解できない」という反応が大部分のようですが、自分はコレを聞いた瞬間

「分かる!」

と思ってしまった(笑)

いや私は食べることは好きですし、肉もハンバーグも大好きですけどね(笑)

でも、感覚は分かる部分があるというか。

肉ばっかり食べてる(肉しか食べてない)と、体に異常をきたす。と言う話を良く聞きますが。そもそも、肉を食べるというのは、人間の(動物の)栄養摂取の方式として、実は未完成なシステムなんじゃないかと思うのです。

じゃぁ野菜食べてればいいのか?という話になると思いますが、野菜も、実はむしろ、人間の肉体にとっては、肉よりもっと異質なモノというか。体質にもよると思いますが、人によっては肉よりも体に無理があるんじゃないか、という気がするのです。

(もちろん野菜も体に必要だとは思いますが。)

というか、この種の話しだとどうしても肉と野菜を区別しがちですが、野菜もまた、植物という生命体の肉体を食べる行為だと思うので、そういう広い意味では、肉だろうと野菜だろうと、他の生命の身体を食べると言う意味では同じことですよね。

これらの話は詳しく書くと長くなるので省略しますが、肉にせよ、野菜にせよ、他の生命を食べて栄養を摂取するというそのシステム、メカニズムは未完成・不完全で、もしかして「無理がある」部分があるのではないかと・・・(決して効率の良いシステムではないですよね?)

人間は、植物にせよ動物にせよ、他の生命(他の生命由来の有機質)を食べないと生きていけないわけで。

それを考えた時、どうして地上の動物は、水や空気・鉱物など、生命由来でない物質を摂取して生きていけないのか?と不思議に思うのです。

本郷奏多氏は、「できたら何も食べずに生きていきたい」と言っていたようですが、確かに。それができたら、生命体としては理想的ですよね。。。

本郷奏多氏は「超潔癖症」らしいですが、私もそういう部分があるので、分かります。

私は、しょっちゅう手を洗っています。
それも、流水で流す。お手拭きや「消毒」ではダメ。

人が触ったドアのノブは触りたくないので、できるだけ人が触らなそうな場所を選んで触れるようにしているし、触れたらできるだけ速やかに洗います。

それから人の触ったキーボードやマウスは、触りたくない。いや、質問を良く受けるので、必要があれば普通に触りますが、終わった後は速やかに流水で(以下略

ただ、私は病的な潔癖症ではありません(笑)

その潔癖症の部分を、あえて無視して、逞しく生きようとは思っていますし、そうできていると思います。

そもそも子供の頃や若い頃は、全然潔癖症ではなかったのですよね・・・

歳を取る毎に、その傾向が強くなって行きます。

それは、霊魂学を知り、霊的な視点でものを見るようになっていったからですね(※)

※信じるか信じないかは人それぞれですが。 「人間を始めとする、いわゆる『生命』は、物質の物質の肉体のほかに、霊的な身体を持っている。物質の肉体を鍛錬して強くするだけでなく、この霊的な身体も鍛えなければ片手落ちである。」 若い頃、武道・格闘技をやっていまして、その追求の過程でこれを知り、霊的身体のトレーニング法に興味を持った事で、古神道と霊魂学に出会いました。
同じ芸能人でも、坂上忍氏なども潔癖症だと言いますが、以前何かの番組でその話をしてるのを聞いていて、共感するところはありませんでした。どうも私とはちょっと違うというか・・・単なる物質的な汚れを気にしているだけというか、単なる神経質なだけの印象(私は神経質ではないようです・笑) しかし、本郷氏の話を聞いていると、私の感覚により近い気がするのですよね(笑) 単なる物質的な汚れや、気難しい神経質というのではなく、「汚れ」というより「穢れ」を恐れているというか・・・ 物質的な汚れではなく、霊的な汚れ、ですね。

霊魂学的に言うと、例えば----霊魂学・霊的トレーニングをしている人はこの話を聞かないほうが良いかも知れませんが----人間の手からは、様々な霊的な汚れが漏れ出ている事があります。

例えば「寿司」や「オニギリ」などは、その手から出ている汚れた霊的な物質を握り込まれている可能性があるわけで・・・

仮に、流血したままの手で寿司を握られたとしてら、気持ち悪くて食べられないですよね。物質的な血ならば目に見えますのでそのまま調理する人は居ないわけですが、霊的な怪我・流血をしているような状態であっても、そのまま手当もせず調理してしまう人がほとんどのはずですから・・・。

霊魂学的な解説をすると、例えば、物質の「肉体」と、霊的な身体のひとつである「幽体」とを結びつけている接着剤のような役割をしているモノがあります。霊魂学的にはそれを「間気」と呼びますが、その間気が手から漏れ出しているという人が居たりします。そのような人が握った、言わば「間気握り寿司」は、流血握り寿司と同じく、気持ち悪いのであまり食べたくないなぁ・・・と思うわけです(笑)

人が頻繁に強く握るドアのノブなどにも、人が漏らした間気や幽気が付着していることが考えられるわけで・・・そう考えるとできたらあまり触りたくないなぁと(笑)

※これらに対する自分なりの対策は、「手を水で洗う」とか「気を自分の内側から発して外の気を吸い込まずむしろ弾く」とか、「霊術(祓い)」や「霊的身体のトレーニング法」などいくつかありますが。
流水で流す、というのは、実は液体(水)というのは、物質でありながら霊的な質量にも影響を与えやすい形態で、水で洗い流すと物質でない「気」のようなものも流れ落ちる可能性が高いのではないかと、勝手に思っているのです(笑)
神話の時代の禊など、水で洗い流すのはそういう意味があるのではないかと。。。

霊魂学的な視点から見ると、あらゆることが、「気」や「(霊的な)汚れ」、「(霊的な)栄養」と言う事が重要になってくるので、少し見方が変わってくるわけです。

普通に生きているだけで、社会には、霊的に見ると不健康になるようなものや状況がたくさんあります。

無駄に自分を汚し堕とす必要もないわけなので、不必要に汚れた霊的な気を吸収する行動は慎んだ方が良いわけで。

まぁ、あまり神経質になっても行き辛くなるだけなので、できるだけ気にしないように、大胆・豪快に生きていきたいと思っていますが(笑)

汚れたら、またキレイにすれば良いわけですので。そのために霊的なトレーニング法や技術があるわけですから。

大昔の古い文献(神話)にも「禊」の話が出てきますが、実は、昔の人は自然にそういうことができていたわけです。

しかし、現代人は、それらも失ってしまった。

霊的に見ると、とても酷い、厳しい状況にある、それが、悲しいですが現実のようです。。。

みんなが、霊的な身体の健康を意識するようになって、霊的な身体を鍛える方法を行えば良いのに、と思うのですが・・・

信じるか信じないかはアナタ次第 m9(  ̄  ̄) Death...

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