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浅田真央 銀メダルおめでとう!!

スポーツ・武道
トリプルアクセルは素晴らしい完成度と成功率だったと思う。
あそこまでの力を身につけるのに、本当に大変な修練を積んだ事と思う。

トリプルアクセルがどれだけ高度で難しい技なのかは、他の跳べる選手が誰も居なかった、挑戦した選手も居なかったことからも分かる。それは本当は、選手たちが一番分かっている事なのではなかろうか。
それを、オリンピックの舞台で三度決めて見せた、これは史上初の快挙だ。

トリプルアクセルという、自らに課した課題は、完全にクリアした。
これは歴史に残る偉業であったと思う。

しかし、ベストの結果ではなかった。
なんだか、自分の事のように悔しい。
結局自分はいつも、肝心なところで失敗してしまう人生なのかと思えてしまった。

メダルの色や点数はどうでもいい。競技なのだから勝ったり負けたりは必ずあることだ。
それに、芸術性や表現力など明確な基準のない項目まで含んで、他者が採点する競技では、点数や順位はもはや関係ない、選手の外の事情に過ぎない部分もある。

おそらく浅田真央がシニアにデビューした頃の採点基準であれば、トリプルを三度クリーンに決め、その他の技もつなぎも修練を積んできた真央なら、それこそ史上最高得点を更新したのではなかろうか。しかし、現在の採点基準ではそうならない。つまり、それは単にその時代の基準にすぎない。見方を変えれば評価はま逆にもなるということ。

ただ、悔やまれるのは、唯一、ベストを出し切れなかったことだけだろう。

金メダルを取った選手は、内容や採点は別として、自分に課せられた課題を見事クリアして見せたと言える。浅田真央選手は、自分に課した課題を、アンラッキーなアクシデントがあったにせよ、完璧にはクリアできなかったと言えるだろう。

採点がおかしいと言う話もあったが、それもベストの演技をした選手でなければ言えない、説得力が弱くなってしまう。現状でも十分おかしいのはおかしいのだが、選手本人は言えないだろう。(※今回は男子も4回転を跳ばない、女子はトリプルアクセルを跳ばない選手が金メダルになってしまったのは、なんだか採点を考えさせられる部分は主張していくべきだと思うが。芸術性というあいまいな基準に偏重して採点するなら、スポーツではなくなってしまう。)

浅田真央は、暗い重苦しい雰囲気の曲を、自分で選んだと言う。
青春の苦悩、自分の置かれた逆境が、自分の精神状態によりマッチしたからなのだろう。

本当は、もっと違う曲を選択したほうが、戦略的には良かったと思うのだが・・・
しかし思えば---アンラッキーな状況に追われて止むを得ずだったにせよ---浅田真央はあえて、孤高に、自分にとって厳しい道を選択して、貫いて来たと思う。

そうであるならば、たとえ残念な結果であったにせよ、自分で選んだ道を進んだのだから、結果も含めてすべて自分のもの。堂々とそれを手にとり、胸を張って誇るべきだ。

しかし、満足行く、出し切ってしまった結果の銀メダルであったら、それでも届かなかった虚しさ、虚脱感を味わうよりは、おかしな言い方だけど、むしろベストを出し切れなかった銀メダルで良かったのかも知れない。

出し切れなかった、悔しかった思いがあるからこそ、再び、次を目指して歩き始められる。

ツライけれど、暗い顔をあげて、ふたたび、次の目標を見つめて歩き始める。
そういう強さが美しいと思う。

再び、次の五輪まで四年間と言う時間は、地獄のような日々にも思えるけれど。

でも、次はきっともっと難しい。
立ち止まっていたら、届きはしない。
次の世代の、素晴らしい才能がどんどん育っている。
さらなる成長・進化を続けなければならないのだから。

これから、新しい人生が始まるのだと思う。

ともあれ、いまは、がんばった自分を、褒めてあげてよいと思う。
銀メダルおめでとうと言いたい。

唯一無二の、最高の銀メダルだと思う。

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